子どもを変えようとしていた私が「信じる」ことを知るまで
私の母は、私に有り余るほどの愛情を注いでくれた人でした。
そんな母を見て育った私は、自分が母親になったとき、苦しくなりました。
「母は、あんなにしてくれたのに」
「私は、全然できていない」
当時は二人の子どもを育てながら犬や猫の世話もあり、夫は仕事で忙しく、ほぼワンオペ育児でした。今振り返れば、完全にキャパオーバーでした。
さらに当時は分かりませんでしたが、上の子にはADHDがありました。
正直に言えば、「育てにくい」と思うこともありました。
でも私は、そう感じる自分を許せませんでした。
母親なのだから。
もっと優しくしなければ。
もっと我慢しなければ。
そうやって自分の気持ちを押し込めていました。
でも、我慢には限界があります。
ためて。
ためて。
また、ためて。
そして爆発する。
そのあとで「またやってしまった」と自分を責める。
しんどくなると、仏壇の前で泣きました。
「お母さんは、あんなに私にしてくれたのに」
「私はどうして、こんなにできないんだろう」
何度泣いたか分かりません。
子どもの不登校。出口の見えない暗い日々
そんな中、子どもが中学生のときに不登校になりました。私は焦りました。
通りすぎる学生たちを見て「なぜあの中にうちの子はいないのだろう」という思いがよぎります。
「学校へ行かせなければ」
「このままで将来、大丈夫なの?」
「早く自立できるようにしなくては」
頭では、追い詰めてはいけないと分かっていました。それなのに、毎日家にいる子どもを目の前にすると、不安を抑えることができません。
また口を出す。
またぶつかる。
そして、また後悔する。
家では泣けず、車の中で一人で泣きました。
あの頃の私は、出口の見えない暗いトンネルの中を歩いているような気持ちでした。
「出口が見えたかもしれない」と思っても、いくら歩いても近づいてこない。
「いったい、いつまでこれが続くんだろう」そんな思いで、暗闇の中をさまよっていました。
子どもを変えるためではなく、私自身が学び始めた
「もう、これ以上子どもとぶつかりたくない」そう思った私は、心理やカウンセリングを本格的に学び始めました。
そこで私は、大きなことに気づきました。
私は子どものためと思いながら、
「失敗しないように」
「将来困らないように」
と、先回りしすぎていたのです。
そして、私が思う「幸せな人生」へ、子どもを連れていこうとしていました。
必要だったのは「子どもをどう変えるか」ではありませんでした。
自分自身の関わり方を見直すことだったのです。
「学校へ行きなさい」と言うことをやめました。
先回りすることも、少しずつ減らしていきました。
すると、子どもとぶつかることが少なくなっていきました。
そして私は、ようやく気づきました。
子どもは、私の分身ではない。
考え方も違う。
感じ方も違う。
幸せの形だって違う。
「この子には、この子の幸せがある」
そう思えるようになったとき、私の子育ては大きく変わりました。私の役目は、私の思う幸せへ子どもを連れていくことではない。
子どもの人生を、信じること。
それでいいのだと思えるようになったのです。この経験は、今のカウンセリングにもそのままつながっています。
私は、相談者の方に私の正解を押しつけたいわけではありません。
その人自身が、
「私は本当はどうしたいのだろう」
「私にとっての幸せって何だろう」
と、自分の答えを見つけていけるように、一緒に心を紐解いていきたいのです。